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60.旧赤松家 |
旧赤松家は、近代日本の造船技術の先駆者で、 明治期に磐田原台地に茶園を開拓した赤松則良の邸宅跡です。 赤松則良は、幕末に米国との修好通商条約批准書交換のための使節派遣に伴い、 19歳のとき咸臨丸で渡米し、引き続いてオランダに留学して海軍の造船技術を学び、 明治新政府のもとで造船技術の先駆者として活躍しました。 明治20年代に建てられた旧赤松家は、 明治建築の特徴がよく活かされたレンガ造りの建物です。 現在残っている門・塀・土蔵などは近代建築物としての価値が高く、 県・市の指定文化財となっています。 母屋は大正14年頃東京に移され、付属建物・施設のみ現存する。 |
長女の登志子は、森鴎外と結婚し、長男・於菟(オト)がいる。 森於菟(もり・おと)著「父親としての森鴎外」の中に、 明治41年(1908)4月6日、於菟が祖母・峰子に連れられて、 見付の赤松邸を訪れたことが書かれています。 18歳の於菟が、初めて祖父の則良や妹の美代子らと対面する感動的なシーンがあり、 於菟との対面をとても喜んだ則良は、自慢の邸内を案内して回ったそうです。 |