60.旧赤松家



旧赤松家は、近代日本の造船技術の先駆者で、
明治期に磐田原台地に茶園を開拓した赤松則良の邸宅跡です。

赤松則良は、幕末に米国との修好通商条約批准書交換のための使節派遣に伴い、
19歳のとき咸臨丸で渡米し、引き続いてオランダに留学して海軍の造船技術を学び、
明治新政府のもとで造船技術の先駆者として活躍しました。

明治20年代に建てられた旧赤松家は、
明治建築の特徴がよく活かされたレンガ造りの建物です。
現在残っている門・塀・土蔵などは近代建築物としての価値が高く、
県・市の指定文化財となっています。

母屋は大正14年頃東京に移され、付属建物・施設のみ現存する。

旧赤松家の門   赤松則良像

旧赤松家の門・塀・土蔵 と 赤松則良の胸像


旧赤松家の門・内側   旧赤松家・北土蔵

門の内側、 北土蔵は米蔵として使用されていた。


旧赤松家の門・南土蔵   旧赤松家記念館

この内蔵は残念ながら当時のものではない。
右側の記念館には、勝海舟の書簡などが展示されている。  


ハクモクレン 060314

ハクモクレン 060307   ハクモクレン 060314

ハクモクレンの大きな木があります。2006年3月14日撮影


長女の登志子は、森鴎外と結婚し、長男・於菟(オト)がいる。
森於菟(もり・おと)著「父親としての森鴎外」の中に、
明治41年(1908)4月6日、於菟が祖母・峰子に連れられて、
見付の赤松邸を訪れたことが書かれています。
18歳の於菟が、初めて祖父の則良や妹の美代子らと対面する感動的なシーンがあり、
於菟との対面をとても喜んだ則良は、自慢の邸内を案内して回ったそうです。


● 磐田市のHP 旧赤松家

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* 歳時記