7. 川越遺跡(カワゴシイセキ)  



2004年10月24日に、島田市の川越遺跡へ行ってきました。

元禄9年(1696)に川越し制度ができて川庄屋がおかれました。
川会所は、この制度に基づいて、川越業務を管理運営する場所です。
川越制度は明治3年(1870)に廃止されました。
昭和41年8月に国の史跡、「島田宿大井川川越遺跡」に指定されました。



川越遺跡 川会所  川越遺跡 川札のねだん

川会所・・・川越しの料金を決めたり、川札を売ったりしたところ。      
川札のねだんは寛政年間のもので、一文を30円で換算してあります。

享保年間には、白米・・・1升40文、 酒・・・1升88文、 大工手間・・・1日120文


川越遺跡 平蓮台と半高欄蓮台  川越遺跡 大高欄蓮台

蓮台いろいろ、平蓮台、半高欄蓮台、右が大高欄蓮台

川越し賃銭 川札枚数
肩車・・・川札一枚、常水以上は手張(補助者)1人がつくので2枚
平蓮台、半高欄蓮台の担ぎ手は1人乗りなら4人+台札2枚・・・6枚、               2人乗りなら6人+台札2枚・・・8枚
大高欄蓮台は担ぎ手16人、手張4人+台札32枚・・・52枚

常水は2尺5寸で、5尺(約1.5m)になると「川留め」と決まっていた。 川越遺跡には人足の寄合い所だった「番宿」をはじめ、札場、立会宿、 仲間の宿等の建物が復原されています。 多くは現在も住居として使用されています。
芭蕉の句



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* 歳時記