27.  挑燈野(ちょうちんの)



2005年4月1日に、磐田市(旧豊田町)の挑燈野の碑を見てきました。

挑燈野の碑が建てられているのは国道1号線脇です。某パチンコ店の駐車場にあります。

家康が沼地を利用して武田軍を迎え撃ったと伝えられ、村人が戦死者を弔った所でもあります。

挑燈野の碑   挑燈野の碑

挑燈野の碑

挑燈野の由来・・・立て看板より

元亀三年、武田信玄は徳川家康と一言坂で合戦をして、家康を打ち敗った。
家康軍は退却に際して、急追する武田軍を迎え討とうと計画をした。
当時この付近は湿地帯で、石動といわれた沼地であった。
腰までもぐる震田に布橋をかけたり、付近の松林には火をともした多くの提灯をかけ、
或いは幟を押し立てて陣地と見せかけて敵を待った。
武田軍はそれとも知らず、馬に鞭打ち、怒涛のように押し寄せたが、
人も馬も皆深い沼地に落ちて大変苦しんだ。
家康軍は直ちに反撃して敵に大損害を与え、味方は全員無事に浜松へ帰ることが出来た。
村人たちは、この戦いで死んだ将兵をねんごろに弔った。
ここを提燈野といい、夏の夜「万能ボタル」という大きなホタルガ沢山飛ぶのは、
武田軍将士の魂であると古老は伝えている。


中遠昔ばなし 挑燈野の戦

 



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* 歳時記